東北ハウスの応援団として、羽生結弦からのメッセージ動画が届いたわよ。
震災への思い、そして当時「頑張れ」という声をきちんと受け止めることが出来なかった苦悩も明かしながらも、
試合で気付いたファンの思いとスケートをする意味。彼こそが五輪金メダリストにふさわしい人物であると改めて強く感じたわ!
宮城県仙台市出身の羽生結弦です。震災当時は16歳でした。
仙台市内のスケートリンクで練習中に大きな揺れを感じ、スケート靴のまま避難しました。あの日街中の電気が消え、真っ暗の中、満天の星空がありました。いまでも忘れることのできない、普段は見えない無数の光がありました。
多くの方々が苦しみ、そして避難所生活を送っている中で、自分だけがスケートを続けてもいいのだろうか?こんなことをしてもいいのだろうか?そんな風に悩んでいました。悩みながらも日本各地で開催されたチャリティーのアイスショーなどに参加させていただき、スケートを続けてきました。
その中でたくさんの方々に「頑張れ」という声をかけていただきました。当時の僕は、その「頑張れ」をちゃんと受け止めきることができませんでした。
それよりも仙台市出身のスケーターとして、これまで頑張ってきた日本代表というスケーターとして、何か被災地に気持ちを届けたい、何かの思いを届けたい、そんな気持ちでスケートを続けました。ただその何かはモヤモヤしたままわからずにスケートを続けてきました。
その翌年、3月に怪我をしたまま試合を迎えました。自分だけの力で進もうとしていた自分に、皆さんの「頑張れ」という声で、力を与えてくださいました。
その時、ようやく分かりました。
「僕は一人でスケートをしているわけではない、ひとりで生きているわけではないんだ」と。
だからこそ、僕は皆さんの「頑張れ」と共に、一生懸命頑張ってその思いと力をスケートで発揮することが、皆さんへの恩返しになるんだと気付きました。
そう信じてソチオリンピックを迎え、夢を叶えることができました。金メダルを手に被災地に訪れると、たくさんの笑顔が待っていました。その当時、僕は自分は被災地に直接的な支援をできた訳ではないし、直接的になにかできたわけではないと悩んでいました。
そして迎えた平昌オリンピックでも、二大会連続の金メダルを手にすることができ、また被災地を訪れるとたくさんの笑顔が待っていました。
2011年3月11日、あの時の満天の星空はいつもそこにあるのに気付くことができませんでした。その星たちと同じように、ひとりひとりは小さな光かもしれませんが、笑顔という満天の星空に似た力をいただきました。
僕一人では何もできませんでした。こうやってたくさんの方々に支えられて、金メダルを取ることができました。そしてそのメダルがみなさんが前を向いて少しでも進む力になれるように願っています。
あれから10年。ひとりひとりは小さくても、満天の星空のように、みんなで集まれば、一つになれば大きな力になると信じています。
僕もその小さな光のひとつになれるようこれからも努力し続けます。
以上が、羽生結弦からのメッセージ全文書き起こしよ。
そのひとつひとつの言葉に重みがあって、羽生結弦展をご覧になられた方は、震災当時の様子を展覧会でも知ることができたので、
あの時の言葉も出てきたと思う事もあったんじゃないかしら。
当時の僕は、その「頑張れ」をちゃんと受け止めきることができませんでした。
池江氏との対談の際にも、
「僕も、16歳の時に東日本大震災があって、やっぱりあれからすごくいろいろなものを背負い始めたなと感じていて。今も、東日本大震災の支援や復興に関する依頼はなるべく受けるようにしているのですが、当時はすごく重たく思っていました。大震災という天災が起きて、急に、被災地で頑張っている人間だから(日本代表に)選ばれているんだ、というように思われるのは、すごく悔しかった」
と当時の苦悩を明かしていたわよね。
「僕は一人でスケートをしているわけではない、ひとりで生きているわけではないんだ」
だからこそ、僕は皆さんの「頑張れ」と共に、一生懸命頑張ってその思いと力をスケートで発揮することが、皆さんへの恩返しになるんだと気付きました。
怪我を経験して気付いたこと。一人でスケートをしているわけではないというファンの声援と共に、
一緒に闘って、前へ進んでいるんだという気持ち。
僕一人では何もできませんでした。こうやってたくさんの方々に支えられて、金メダルを取ることができました。そしてそのメダルがみなさんが前を向いて少しでも進む力になれるように願っています。
2大会連続金メダルという偉業を成し遂げて、その金メダルがみなさんが前を向いて少しでも進む力になれるようにと、、、
羽生結弦こそが、金メダリストという称号にふさわしい、そして彼が五輪の意義、金メダルの本当の価値を伝えることができる男だと!
ひとり鼻をすすりながら号泣してしまったわよ。何度も、何度も彼のメッセージ動画を見入ってしまったわ。
東北ハウスに展示されるパネル
「東北ハウス」
期間:2021年7月22日(木・祝)~8月7日(土) (17日間)
場所:アキバ・スクエア(東京・JR秋葉原駅前)
時間:11:00~19:00(最終受付18:30)※初日のみ13:00オープン
先程の記事でもお話した「羽生結弦展 共に、前へ」。
今回のメッセージ動画を見てから訪れると、またより一層彼の震災への思いが深まりそうよね。
☆合わせてお読み頂きたい
嬉しいわ!大阪へ帰ってきた羽生結弦展の追加開催が決定に! - 羽生結弦好きのオネエが語るフィギュアスケート |
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View Comments
オネエさま 私ももらい泣きしてしまいました(涙)
真摯な言葉、小さな光どころか大きな大きな光を放って元気と感動をいつももらえます。
羽生くんが健康で練習が積めますように、ショートは何になるでしょうかね?
正直開会式にもし関わっていたら‥‥と一抹の不安を感じてしまう自分が情けないですが、仮になんらかの役目があったとしても羽生くんの根底にある復興への気持ち、人様の為にと誠意ある行動はブレる事なく希望を持って表現されるでしょうね。
出来るなら萬斎さんの総合演出の開会式がみたかったですが‥‥
とんでもない運営で明日を迎えますが、選手の皆さんにはエールを送りたいと思います。
競技にもよりますが、アスリートの夢の頂点を目指す場ですから。
日本は嘉納治五郎財団が知らないうちの解散してJOCの意義も怪しくなってますが、アスリートは現役を辞してからの生き方も問われますね。
>おばちゃん様
こんなにも真摯なメッセージ、そしてファンをいつでも大切に
してくれる姿勢が素敵ですよね。萬斎氏の総合演出の開会式はわたしも見たかったです涙
JOCの意義ってなんなんでしょうね。選手の足を引っ張ることしか出てこないです。