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フィギュアスケート

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世界初!4回転3度跳んだ男の苦悩とは一体?

今でこそ、男子フィギュアにおいて、

複数の4回転ジャンプを世界のトップスケーター達は跳んできているけれども、

世界ではじめて「1演技中に3度の4回転ジャンプ」を成功させたティモシー・ゲーブルをご存知かしら?

4回転キングはすごい!と言われたからこそ、跳び続けたゆえの彼の苦悩とは?




自分の限界に挑戦したかった、、、

【1999年スケートアメリカフリー動画よ】

単純に難しいプログラムに常に挑戦したかったからです。失敗するリスクは承知の上でした。限界値を超えようとすること、これはフィギュアスケートだけでなく、すべてのスポーツにおいて普通にあることです。私は「ここまでしかやらない」と安全策を取る判断をしたことはありませんでした。

※当時本人インタビューより

1999年、スケートアメリカでティモシー・ゲーブル(アメリカ)は、

4サルコウー3トーループ、4トーループ、4サルコウと

世界で初めて、3度の4回転ジャンプを決めたスケーターだったのよ。

4回転以外のジャンプの方でミスをしてしまったのはご愛嬌だけど笑、

当時、第一期「4回転時代」と呼ばれ、

複数の選手が果敢にプログラムの中で、4回転ジャンプを取り入れて、男子フィギュア界の技術を押し上げていたのよね。

その後のISUルール改正で新採点方式となり、ジャンプのミスのリスクを負うよりも、

演技全体の完成度を高めることにおもむきを置かれるようになり、4回転時代の波は一旦収まっていったのよね。

こうした先人達の限界に挑戦する努力があったからこそ、今のフィギュアがあるのよね。

大きな怪我とは常に隣り合わせだった

【2002年ソルトレイク五輪フリー動画よ】

毎日の練習で継続的に4回転ジャンプを跳び続けていたので、それが頻繁に怪我する結果につながってしまった。右臀部(でんぶ)、背中、首などを痛め、棄権することもしばしばあった。でも、私自身“アスリート”としてありたかった。多くの人に「すごい」と言われ、その期待に応えたかった。だから、自分の限界を超えた技に挑み続けたのです。私はスケーターとして、いい日々を送ったし、やりきった。試合のドキドキ感や挑戦する時の気分の良さが懐かしいです。

※当時本人インタビューより

素晴らしいジャンプを見せてくれた代償に、彼は怪我が絶えなかったわ。

2002年グランプリシリーズ以降、棄権する大会が増えて、だんだんジャンプも決まらなくなっていったのよ。

高難度ジャンプからくる怪我とそれでも周りの期待に応えたいという気持ち。心と体がうまくいかない苦悩が伺え知れるわね。

そして、

難しい技への挑戦が選手生命さえも短くしてしまう過酷さを、新ためて痛感させられたのよね。

それでもソルトレイク五輪での銅メダルは素晴らしかったし、なによりも本人がやりきったっていうのが

一番のことよ。

選手達は常にこうした大きな怪我と抱き合わせながら、素晴らしい演技を見せてくれているんだということを考えて、競技を見るようになっていったのよね。

そして、この時代、ソルトレイクとくれば、金・銀で熾烈な「王者」の争いを繰り広げたロシアの天才達を語らずにはいられないわよね。

次回は、このふたりにスポットを当てたお話をさせて頂きたいわ。

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