スポンサーリンク

スポンサーリンク

フィギュアスケート

投稿日:

フィギュアスケートの原点って一体なんだろう!?

皆様、おはようございます。

アイスショーもひと段落して、梅雨が明けたら暑い夏が来るわよね。

夏はあたしにとって、フィギュア氷河期とも呼んでいるのよ。

実際はクソ暑くて、やってらんね~わよ!って思っているのだけど、

あたしの心は凍てつくような吹雪で覆われているのよ!笑

そんなときこそ、フィギュアスケートの原点をあたしと振り返ってみましょうよ。

きっと何か新しい発見があるかもしれないわ。




女子で唯一五輪3連覇の偉業を達成したソニア・ヘニー

皆様、ソニア・ヘニーはご存知かしら!?

彼女こそ、女子で唯一冬季五輪3連覇、世界フィギュア10連覇、欧州選手権6連覇という

偉業を果たしたレジェンドにして殿堂入りを果たしている伝説のスケーターなのよ!

彼女が初めて優勝した五輪は、

冬季五輪としては第2回目のサンモリッツ大会だったのよね。

フリー演技で見せたスピン、表現力の演技構成は画期的でね。

コンパルソリー懐かしいわよね!

フィギュアの名の通り、決められた図形に従って滑り正確さを競う競技だったのよ。

伊藤みどりはこのコンパルソリーが苦手でね。

カルガリー五輪でもしコンパルソリーがなければ表彰台にのぼっていたかもしれないわね。

後に1991年にこのコンパルソリーは廃止されてしまうんだけどね。

あたしね、ふと思うのよ。

今のように優れたジャンプ技術もなければ、複雑なスピン、ステップもない。

先人達の演技は単調だ、古い、見ていてつまらない!

そう思う方もいるかもしれない。でもね、

先人達は今ほど衣装も軽量ではないはずだし、演じやすいものではなかったはず。

スケート靴ひとつ取ってもそう。もし当時のスケート靴をはいて、今のスケーターが滑ったら、

どうなるのかしら?

先人達が築き上げてきた、積み重ねてきた歴史があるからこそ「今」があるのよね。

スケートで最速の男、アクセルパウルゼンこそがアクセルジャンプの元祖

このサンタクロース風でシュールなポーズを決めているメンズ、

ピン!と来られた方は相当のスケオタだわ笑

彼こそが、アクセルジャンプの名の由来となる考案者の、

アクセル・パウルゼン

彼の何が凄いかってね、パウルゼンは元々スピードスケートの選手だったのよ。

1882年、ウイーンで開かれたフィギュア初の国際大会において、

初めて1回転半のアクセルジャンプを成功させたんだけど、

なんとスピードスケート用のスケート靴をはいたまま成功させてしまったのよ笑

ある意味超人よね。

なんだかお写真のポーズがスピードスケート競技のスタート位置についたポーズに見えてくるでしょ笑

そこから1回転をさらに加えたダブルアクセルを初めて成功させたのは、

「4回転、4回転、だから何だっていうんだ。どいつもこいつも点数目当てに雑巾を絞るみたいなジャンプばかりして、あんな見苦しいものは見たくないわい!」

の名言で有名な毒舌爺、

ディック・バトン

が飛躍的にスケート技術を進化させたのよね。

屋外でのフィギュアスケート冬季五輪もあったのよ!開放感あって気持ちいいわよね。

ひとつ疑問なのは太陽の光とかまぶしくないのかしら!?笑

先人達が進化しようと、たゆまない努力を積み重ねてきたものこそがフィギュアスケートの原点なんじゃないかってあたし思うのよ。

フィギュアスケートってさ、採点競技でわかりづらいランキング圧倒的にNo.1だそうよ笑

そりゃそうよね、あんなに多くの技、ジャンプ、スピン、ステップ、スパイラルと

おまけに不可解なジャッジシステム。人間が採点するから尚、タチが悪いもの笑

でもさ、不思議なものよね、ひとつひとつの技に、

ビールマンスピン、クリムキンイーグル、サルコウジャンプ、

いままでフィギュアスケートに携わってきた先人達の名前がしっかり刻み込まれているのよね。

あたしはそうした名を聞く度に、

先人達のフィギュアに対する想いが、今の時代にも確かに息づいているんだってすごく嬉しくなるのよ。

オフシーズンの今だからこそ、ちょっとフィギュアの歴史を振り返ることで、

さらにフィギュアスケートに愛着を持てるきっかけになれたら嬉しいわよね!




お読みいただきありがとうございます!
共感して頂けることがあれば、ぜひブログランキングバナーを
↓↓↓

人気ブログランキング

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村
↑↑↑
ポチっと押してくださいね!励みになります!

-フィギュアスケート


スポンサーリンク


 

愛のオネエサロン

  1. ローイ 2019年7月6日 8:08 AM

    おはようございます。チョビヒゲ…チャップリンがたくさんいる時代ですね。この時代、女性がスケートして大丈夫だったんでしょうか?そもそも、首都圏に大雪が…なんてNEWSで報じる次の日は、大騒ぎになるっていうのに…よく、あんなツルツルの所を滑ろうとしたな。って、勇気に感服(笑)jumpまで、してますよ。原点繋がりで…ブログ業界、富山祭りで打ち上げ花火、バンバンうちあがってますね〜、Originだ(笑)ヴァイオリンの音色に負けてないって…どんだけ〜❓❓❓ヤバイっすよ!

    • オネエ 2019年7月8日 1:06 AM

      >ローイ様

      先人達はジャンプやスピンを生みだしたのですものね、
      ホントにすごいなって思います!

  2. リン 2019年7月6日 9:11 AM

     オネエさまのフィギュア愛に心底脱帽てすわ。何でも御存じなんですね。ソニアヘニーを初めて見ました。オネエさまのおかげで先人の積み重ねあっての今 という言葉の重さを少し理解できた気がします。 nhkは昔?フィギュアがまだまだマイナーで、視聴率もとれなかった?頃でも試合の放送をしてくれていました。佐野vs五十嵐対決わくわくしながら見てたものです。初優勝の高橋大輔アメリカ杯もnhkで何回も再放送してくれていました。思えば今私がフィギュアを楽しめるのは、長年にわたり選手たちのがんばりを見守り続け、その姿を届けてくれたnhkの放送があったからこそかもしれませんね。フィギュアへのあふれんばかりの熱い愛 しっかり伝わってきてました。いやあ、原点回帰って大切ですね。後ろ振り返って前を向けるというか。ありがとうございます。またお教えくださいね。 そして、祝 FaOI富山BSフジ放送決定! ですわ。 感謝! 

    • オネエ 2019年7月8日 1:07 AM

      >リン様

      佐野VS五十嵐対決、懐かしい!!!
      たまに昔を振り返るのも新たな発見もありの楽しいですよね。
      また記事にしますね!

  3. kh 2019年7月6日 1:47 PM

    今日は
    観客席がほとんど男性!女子のフィギュアスケートだから?スピンをしたときのスカートの開き方が凄く綺麗で凝った作りにしてあるんだーと思いました。試合等で演技を観てもっと膝を真っ直ぐにすれば綺麗にみえる。もっと高く手を挙げれば華やかにみえると選手たちは努力して完成度を上げていったのでしょう。それは今も同じですね。
    一番初めに技をした人の名前がついているのは、
    知っていましたが今後何かでてくるかもですね。

  4. てんこ盛りパフェ 2019年7月6日 2:39 PM

    オネェ様、今回もとーってもステキな企画ですね♡♡♡
    この古~い資料や画像を集めるの、めっちゃ大変だったっしょ?
    黎明期は北欧州の裕福な人々のスポーツで、選手自体少なかったから五輪三連覇、ワールド十連覇という偉業も成しえたのでしょうけど、それでも冬季三連覇は全競技で7人。半分近くがフィギュアで、男子・女子・ペア(女子)各一人ずつとはバランス良かですネ。
    でも!!冬季五輪がもっと早く始まっていたら、確実にウルリッヒ・サルコウも入ってたと思いま~す。15~6年世界のトップなんだもん、四連覇すらあったかも?

    ソニア・ヘニーの動画は映画のワンシーンですか?こんなクリアーな画質の動画が見られて超感動!!!!
    ちょっとフィギュア史ググッたら、彼女のコーチってグラフストロームなんですね。三連覇が三連覇教えとるやん!! サンモリッツはこの二人が金だけど、グラフストロームは引退してからコーチになったのか、ヘニーを教えながらの子弟金メダルだったのか? あー、妄想が止まらない~~
    ソニアは裕福な家に生まれ、美貌と才能に恵まれ、フィギュアとハリウッドで成功し、社交界の花ともてはやされ『世界で最も裕福な女性の1人』と称賛された。でも、結婚離婚を繰り返し、「ナチ協力者」「裏切者」のイメージを拭い去ることができず、最後に故国オスロへの機中、白血病で死去っていうのが象徴的。幸せだったのかな?

    昔と現在は条件が違うっての、衣裳やスケート靴もだけど、リンクもね。整氷車が出来たのは1949年で、フランク・ザンボニーはその功績で殿堂入りしてるし、リンクの重要性が浸透してるって事ですよね。衣裳・シューズ・リンクと、先達から連綿と受け継がれてきた技術の上に現在がある。
    時々羽生君が湖の天然リンクで昔のスケート靴と衣装で滑ったらどーなるかな?とか、羽生君が今の靴持って1930年にタイムスリップしたら当時の人たちはどれほど驚くだろうか?な~んて不遜な、お前一回死ねや!!って妄想をしとります。(ヤグディンの時もやってたw)
    今は紛れもなく史上最高と言われてる羽生君も、いずれは偉大なチャンピオン達の名に連なり、50年とか経ったら五回転ジャンプがピョンピョン跳ばれているのでしょうね。
    だって、サルコウもアクセル・パウルゼンもバトンも、その当時の紛れもないぶっちぎりの史上最高だったんですもんね。

  5. ミントブルー 2019年7月6日 3:54 PM

    こんにちは
    暑い夏は私もいろんな意味で嫌いです。
    スケートの歴史勉強になります。
    ありがとうごさいます。
    ひとつ言えるのは平昌五輪は室内で良かったって思います笑
    羽生くんも世界初をたくさん達成しているレジェンドですから、後世にハニュウのついた技名があってもいいですよね。
    ていうかそのうち出来ると信じています。

リン へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

スポンサーリンク

Copyright© 羽生結弦好きのオネエが語るフィギュアスケート , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.